エリ・エリ・レマ・サバクタニ

MY VOICE IS NOWHERE/幻視者

2024年の記憶に残ったコンテンツ

2024年、元日から悲惨な出来事から始まって、その後も世界は心痛み、狂うしか無いような酷い出来事ばかりですが、どうにか生き抜くことができました。その中で共にあったコンテンツを紹介していきます。

『Are you KENZEN? 〜僕らの魔法〜』ロバート秋山(『ゴッドタン 芸人マジ歌選手権』2024年1月3日)

 今年最初に生まれた名曲。今年最後までずっとこの歌を口ずさんでいた。

『Stop Making Sense 4Kレストア ミッドナイトプレビューin SHIBUYA O-EAST』1月20日

軽音サークルのOBの方と後輩の野口桜子女史と鑑賞。立って歓声をあげながら見るという普通の映画とは異なる見方をしたものの、とても楽しかった。David Byrneという人間は、どこか都会なインテリ臭さもあるのだけれど、ねのところはすごい人間的な感じがするのが素敵な人だと思う。

『WWW & WWW X Anniversaries おとぼけビ~バ~ × betcover!!(2024年1月26日)』

去年の暮れにめずらしく渋谷を歩いていると、その時目に入った、どこかのビルに取り付けられているオーロラビジョンにこのライブの情報が偶然映っていた。これに瞬時に運命を感じ、即チケットを取った。

おとぼけビ~バ~から最高。もっとモッシュとかできるのかと思ったら意外とお客さんがみんなおとなしくて、こっちは暴れたくりたいのに動きづらくてガッカリした。
あっこりんりんさんがめちゃくちゃ頭から終わりまでカッコよくて、女性のヒーローってこの人のことなんだろうなと思った。あとギターの人がMCするんだと思った。レッチリみたいに。
続いてbetcover!!。「観た」とか、「体験した」みたいなことなまぬるいものじゃなく、「犯された」みたいなという気分に近い。それほどの官能的で情熱的なライブだった。
メンバー紹介即演奏開始という世界一カッコいい開幕から終わりまでノンストップで突き抜けていく演奏。2歳しか違わない人からどうしてこんなかっこいい声とかっこいいギターの音が出るのか。俺が音楽に興味を持ち始めた頃にはゆらゆら帝国はすでに解散していた。だけど、俺は生きているうちにbetcover!!を見ることができたと生涯自慢し続けられるだろう。

『ズレカツfight』マヂカルラブリー&ランジャタイ(『千鳥のクセスゴ!』)

しょうもないことを幾度となく繰り返す笑いにやっぱり僕は弱いのかもしれない。

『グレイモヤ(2024/02/18)』

お笑いを見る熱中度がどんどんと低くなっていっている僕が唯一見に行く、前後のトークなし、尖ったネタのみが繰り広げられる、これさえ見れば最先端とまではいえないが、今のお笑いのモードが概ね分かるだろうと考えるお笑いライブ、。この時のライブは、R-1グランプリの前哨戦としても見応えがあった。
以下記憶に残ったネタ。
エバース「野球肘」
ボケの佐々木さんの「くいてぇー」の間と言い方が絶妙だなあと思った
かが屋「吉田」
これで持って今年のキングオブコントに出場できなかったのはいかがなものかと思うくらい面白いネタだった。
永田敬介「松ちゃんとの電話」

あの報道後の松本人志をいじる時の正解があったように思う、単にいじるだけではなく、芸人への道へと進むきっかけとなった松本人志への感情がアンビバレンスに含まれている。
サスペンダーズ「文化祭前夜」

今まで誰も笑いとして扱わなかったものを扱うというのが、そのお笑いの新鮮さにつながると思っているが、その中で一番線等を走っているのはサスペンダーズだと思う。
街裏ぴんく冨樫義博
サツマカワRPG「防犯ブザー」

『大正を生き抜いた女』ユースケ(「テレビ千鳥」2024/02/23)

どれだけルッキズムだとかなんだとか言われようと、やっぱり面白い顔というものはあって、自分はそれを見ると笑ってしまう。

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『誇張しすぎた真木よう子ハリウッドザコシショウ

2024年上半期のエポックメイキングな傑作。今年逝去されたものまねの碩学的存在だったものまね研究会氏が「優れたものまねは真似した人間の本質をも描写する」という名言を残していたのだけれど、ザコシショウはその批評眼を持っている。

『6Pがしたい』ななまがり(「チャンスの時間」慰問ネタグランプリ)

ひさびさに笑いすぎて体がアッツアツに熱を帯びる現象に陥った。

『もりもり寿司の中トロ』

今年食べたものの中でうますぎてびっくりしたものの一つ目。軽音サークルの同期4人とともに金沢市に行った時にまず初めに駅前の高めの回転寿司屋で食べたのだけど、あまりに美味すぎて笑ってしまった。
ちょうどディズニーランド1回行ったのと同じぐらいのエンターテイメント性だった。

『金沢蓄音機館での蓄音機の演奏』

その金沢旅行の目的一つが、金沢蓄音機館へ行くことだった、古今東西(今はないが)の蓄音機が寄贈され、展示されている博物館で、なんと当時の蓄音機を館長自らが操作してその音を来訪者に聴かせてくれる。そこで我々に披露された、エジソンが発明した世界最古の蓄音機の音が、ピアノの演奏だったが、それが百年以上前の人間が確かに出した音なのだと思うとなんとも言えない気分になった。自分たちが普段聞いている音楽もこのような記録の側面があるのだが、一番現象としてそのような特性が生々しく現れている音を聞いて、それを再確認させられた。

かりんとうの車』トンツカタンお抹茶(「R-1グランプリ2024」2024/03/09)

「『その男凶暴につき』のテーマ」と並ぶ、今年鼻歌で口ずさんだ曲の上半期ヒット第一位。普通に勝手にフリー音源をの規約違反で配信停止になった顛末も含めて面白かった。

『初期メンバー』街裏ぴんく(「R-1グランプリ2024」2024/03/09)

私が初めて街裏ぴんくを知ったのは、BSフジの番組の違法アップロードだったかもしれない。初めてみた時からその今までにみたことのない芸に虜になった、そして、これは現代の日本のお笑いにおける最先端だと思いながらも、だからこそこの芸が世間に膾炙するのは難しいのかもしれないということも考え、もし俺が金持ちだったのなら、パトロンになることができるのになと思っていた。しかし、まさか今年のR-1グランプリで優勝をもぎ取るとは。初めてテレビの賞レース

『おじさんになるとおばさんが可愛く見えるの?』かもめんたる(THE SECOND ノックアウトステージ32→16)

コント師の人が漫才をやる時、ある意味漫才師に分類されるであろう芸人がコントをするよりも明確に「漫才であるか否か」という線引きを意識しながらその漫才を作り演じているところを見ると嬉しくなる。かもめんたるはその筆頭で、今や育児番組になってしまった『アンタウォッチマン!』の前身番組として放映されていた、『お笑い二刀流』という番組ではじめて彼らが漫才を披露した時、コント漫才に入らず、会話のみで初め、終わるネタに、その線引きの意識を強く感じて興奮してしまった、それからも彼らは一回限りの余芸としてこれを終わらせることなく、その形態を進化させながら、M-1にラストイヤーまで挑戦し、THE SECONDにも挑戦している。その予選に披露されたネタだったのだが、これまでの徹頭徹尾会話でう大が荒唐無稽に見えるが妙に説得力のある持論を展開し、槙尾がそれに困惑するというスタイル(個人的には、彼らの漫才はう大が槙尾に会話の主導権を与えようとしないという側面があり、コンビの双方に発言が与えられる台本というもののもつ特性を維持したまま演じられる、コント漫才よりも作り物感が強い所謂「しゃべくり漫才」などよりもよっぽど会話そのものように感じる)はそのままで、彼らの漫才の演じ方、コントとは異なる演技の筋肉を十分に発達させたことで、それまでその完成度に伴うことの少なかった観客の熱狂を引き出していて、感慨深かった。

『終王ノブ』(「ランジャタイのがんばれ地上波!」2024/03/26)

2024年に放送されたテレビ番組の中で、最も好き放題にいい意味でやらかしてしまった番組が最終回でとんでもないほどに好き放題にやってしまった。最終回だからといってこんなメチャクチャがテレビに映るのは電波法上許されるのか?
名作であるダイアン津田とランジャタイのコラボしかり、こう見るとランジャタイ国崎の作る笑いは、一見無作法のようでいてそれまで作られてきたお笑いの文法に倣っている、その修道僧にも似た笑いを生み出すことに対する信仰心というか、敬虔さを強く感じる

『警察が好き』永野(「さんまのお笑い向上委員会」2024/04/07)

今年は空前の第二次永野ブームが巻き起こった年と言える。個人的に永野のあの芸は「毒舌」「芯を食っている」と称賛されることが多いが、自分は芸人はどのような時でも何も本当のことを言わない、詭弁を弄する人種でしかない(というかそうじゃないと芸人とは言えないとまで)と思っていて、永野はその究極であると思っている(ある意味今年から姿を消した松ちゃんよりも詭弁の天才と言えるかもしれないそのチート行為的な話術でもって、その意味でちゃん松と入れ替わるかのように彼が芸能界を席巻したのは当然であろうと思っている)から、彼の言葉を真実と捉えるのはすごく危険を孕んでいるとは思いながら(このエンタメとして披露した表現ををガチと捉えられたことによって殺された表現者は、彼の好きなカート・コバーンしかり、松本人志しかり数多い。だからこそ、『しくじり学園放送室』(https://youtu.be/F8Qn_hs7VAA?si=klDPvltwXB_9v2SE)で「俺浮かれてないからね」とその現状をしっかり理解していた永野に安心したのだけれど)ここ数ヶ月の永野の暴れっぷりには楽しませてもらっているから文句は言えない。それでありながら、この再ブレイクを体感する直前から永野を見ていると、彼のネタこそが面白いという感想は拭えないのだ。彼がネタを披露する機会は舞台でもテレビでも多くはなく、3〜4年前の「ネタパレ」などで『関係者席にクワバタオハラを見つけた歌手』『お味噌汁の達人』『餅を喉に詰まらせた新沼謙治』などの傑作を立て続けに発表していたのが記憶に残っているが、その後は僕が舞台に見に行けていないのもあるけれど彼がどんどんと再び駆け上がり再びテレビの中に現れる頻度が増えていくにつれて、それらの傑作ネタを見る機会も減っていった(「永野ショートムービーCHANNEL」という例外はあれど、僕はあのような過剰なほどのエフェクトや編集によって修飾が施されているスタイルがあまり好みではない、やはり自分は舞台の上で生身一つで客に対峙していくスタイルが好きなのだ、ある意味なんでもできる映像表現よりも、制約のある舞台上で披露される方がそこで行われるあまりにも突飛な展開の持つリアリティというか、強度が異なる気がする)。
今こそ、ドキュメンタルに出てもらって、彼の笑いが紛い物ではない唯一無二のものであることを皆に認めさせるザコシショウルートを歩んでほしいものだが、松本人志亡き(もう「亡き」と言ってしまえるくらいには彼の笑いを過去のものとして、整理して扱ってしまえている自分がいる、というか、あまりにも彼が長いあいだ現役でありすぎたという方が正しい。別に彼の笑いは今の芸人たちに流れているのだからいいではないかという気分になっている)今難しいのがもどかしい(別にちゃん松がいなくてもできるような気はするのだけれど、彼自身がいなくても成立するほどまでに強いフォーマットを彼が作ったということもあるのだけれど)。

namarako on X: "永野「『警察が好き!』と言ってジャンプします」 さんまのお笑い向上委員会  https://t.co/fNA0ZwwMde https://t.co/fSaedf0cG9" / X


坂本慎太郎LIVE2022 @キャバレーニュー白馬 フィルム上映会~同年ツアー人見記念講堂LIVE映像との2本立オールナイト~』

友人の野口桜子女史に誘われて急遽行った。ゆらゆら帝国のベース亀川千代が亡くなって間もないくらいの頃で、聞きに行った。
最後アンコールとして監督の大根仁による挨拶の後流されたのが、ゆらゆら帝国の日比谷野音でのライブ映像だった、それが人から出る音じゃないくらい凄まじくて、でもそれは確かに鳴らされた音で、でもそれがまた鳴ることは永遠に無くて、でも間接的にでもそれに出会えたから…
とにかくいろいろな思いが頭の中をぐるぐる巡った。

『虎に翼』

自分はとにかくドラマという表現形態を見る気がしない。同じ映像なら映画は観れるし、小説なんか読破するのに何ヶ月かかってもそれに付き合っていられるのに、ドラマに対してはそれほどの熱量を持つことができない。それはおそらく、ドラマというものが自分の人生の中で見ている風景の一部になることはあっても、反対にドラマにその風景をガラリと変えられてしまうことがなかったからだろう。そのように思う理由を考えれば、テレビドラマという作品形態では、受け手が作品に対してどれほど熱量を持っているかを、視聴率などの単純明快な指標で計測し、本来ならば、先んじて存在する表現したい事柄を伝えるために作品を作るところを、その計測結果をもとに、より良い結果を残すためにテーマやシナリオなどをあらかじめ設定して作品を作るというような、受け手の心情を打算的に見積もるような創作の姿勢への拒否感がある。しかし、自分の好きな役者である伊藤沙莉が主演するということで、これを見逃すようだったらもう一生朝ドラを見ることなんてないだろうなと思い、なんとかNHKプラスを使って観続けた。そうして離脱することなく、半年間このドラマを見終えたのである。
主役の伊藤沙莉よりも、その周りにいる実力十分な役者が個性的なキャラクターや抜群なスキルで持って演じていることで目立っている(とくに、特徴的な喋り口調を持っているのに、全く違和感をもたせず、確かに生きている人間としてそのキャラクターを長い物語の最終盤まで成立させた森田望智はすごかった)のだけど、伊藤沙莉が、全く食われることなくそれを受け、吸収していくような芝居をしていてそういった技能を持つ稀有な役者だなあと思う。
とにかく脚本が素晴らしく、女性の社会進出、家族の問題、現代にまで深く長く残っている課題を落とし込み、それでいて説教くさくならない。そして何よりも痺れたのは、主人公が出向先の新潟で出会う美佐江なる女生徒とのシークエンスだ。自分が手を下すことなく周りの人間を次々に犯罪に走らせる少女の美佐江に、主人公の寅子が巻き込まれる展開は、黒沢清の『CURE』さえ連想させる不気味なサイコホラーになっていて、それでいて娘との関係の再建を目指す家庭のドラマを共存させるというとんでもない手腕に、舌を巻いた。そして一旦は未消化な形で退場した美佐江という存在が、この長い物語の最後の問いとして再登場するという、見事としか言いようが無い作劇に思わず嘆息が漏れてしまった。

『2024 4団体統一世界スーパーバンタム級タイトルマッチ 井上尚弥 vs ルイス・ネリ』

スポーツの試合を見て、面白すぎて涙が出たのは初めてだった。
最後の相手の攻撃を全部受けて、こんなもんかと首を振りながらニヤリとした後に左フックを当て、怒涛のようにKOまでのながれは正に漫画を見ているようだ、いや、漫画よりすごいものが今起きてるんだと思った。エンタメとしては圧倒的に一位。

cero LIQUIDROOM 20th ANNIVERSARY』2024/07/18

ライブが始まるまでは個人的な事情でメンタルがどん底にまで落ちて、開演する直前まで目が本当に涙が出てきたくらいだったのだけれど、始まったら最初から演奏のパワーが凄まじく一気にその悲しみは吹っ飛ばされた。まさにベスト的な選曲が最高潮の演奏で奏でられる。ポップミュージックが人に与えるものということをより再確認させられた。

『カジノで1億勝負する粗品粗品 Official Channel 

二時間弱という強気な再生時間に怖気付いて、就寝前のBGMとして再生したが、その怒涛の展開に一秒たりとも目が離せなかった。
奇しくも今年 TBSの編成部によって暗殺された『ジョンソン』の最初の企画も、カジノで一発勝負するという企画で、何重にも妥協や安直さに基づいた保険が張り巡らされて、それでいてそのような打算も全く成功につながらないという、最悪の結果だった
企画性、行動力、(撮れ高をしっかりモノにする)運、それら全てを魅せるエンターテインメント力、改めてそれを高いレベルで持っている粗品はエグすぎだし、そりゃみんなテレビなんか見なくなるのも宜なるかなと思ってしまった。

FNS27時間テレビ 日本一たのしい学園祭!

 人間が何かに熱中しているところが映されていて、その熱意が観ているこっちの方にも移って、画面に釘付けになるというのが、テレビというメディア、とりわけバラエティ番組において理想的な見られ方だと思う。『新しいカギ』はそのような王道を突き詰めている番組だなと思う。キンタローのジャック・ニコルソン完コピなども名場面だったが、特に感動したのはフィナーレの「カギダンススタジアム」で、本当に学生たちが青春という限られた時間の中で、一つの目標に向けて一生懸命に生きる姿が、自分がそんなふうに生きたことがないゆえに、尊くて、本当になんの衒いもなく感動してしまった。ハナコ秋山と三重高校のダンスは、ナインティナイン岡村のオファーシリーズ以来に、芸人が真面目にかつ真剣に何かをやるということで感動した(最近はお笑い芸人がお笑いを真面目にやるということがエンタメとなり、かつ食傷気味になってきてからも久しいが、芸人が自分のできる芸事の範囲外の芸をやるということに対して未だに感動するのは、芸人が持つそのもののポテンシャルを見せていくからだと思う)。

『殺人狂時代』岡本喜八

今年見た映画の中でもとりわけ印象深かった作品。昔の映画なのに、こんなにめちゃくちゃで、それでいて面白い映画があるのか!とびっくりした。仲代達矢が変人の演技をするのにもギャップも相まって面白かった。とりわけ最後のスペイン式決闘のシーンは圧巻。岡本喜八『殺人狂時代』を見た! - にゃんこのいけにえ

小沢健二「LIFE再現ライブ」』2024年8月31日

『LIFE』が発売された1994年8月31日に僕は生まれていない。だけど、小沢健二という人間が作ったこの魔力溢れる『LIFE』というアルバムを聴いてきた人たちが、この武道館に集まるまでの時間を会場にいながらずっと考えていた。

非常にDIY味が溢れるライブで、スマホの画面の灯でサイリウムを再現したり、親子席で来た子供達にコーラスをさせようとしたり(あんまりうまくいってなかったけど)、派手な演出がなくても面白い試みをたくさんしていて、何より小沢健二の歌が全然衰えていないというか、現在進行形のアーティストだなと認めざるを得なかった。

『祝!内村光良還暦祭り 内村プロデュース復活SP!!』(2024/09/28)

歳をとって、あちこちに衰えを感じながらも必死に頑張って生きるということも悪くないかもしれないなと思った。特に有吉が始終嬉しそうにはしゃいでいるのがめちゃエモかった。

『Cloud クラウド黒沢清

蓮實重彦風にいうなら、「滅法」面白かった。日本の素晴らしい役者たちが黒沢清の撮る画面に写り続ける至福。特に窪田正孝ってこんなにいい演技する俳優だったのか!という衝撃が強い。どうしたらあんなヤバい眼ができるのかが不思議だ。

今作を見ながら、黒沢清という監督は娯楽映画というものが持つ古典的な文法に忠実であろうとしているなあと思った。まるでそうしろと決まっているかのように、女が男の前で脚にボディークリームを塗る欲情的な場面が出てくるし、最後まで虚無の極みのような生き方をしている男が、恋人を喪った瞬間に慟哭する。

『KILLAH KUTS』

各話の初めに映される視聴者への断り書きが、なんだか格調高い小説のエピグラフのような矜持を感じさせるもののように見えた。どのVTRも笑いを誘うことより社会実験のようなものに見える、ファニーよりはインタレスティング寄りの面白さになっていたのが興味深いと思う(後日YouTube上で無料公開してくれたラランドニシダの昏睡ゴシップには爆笑してしまったが)。

ZAZEN BOYS MATSURI SESSION AT BUDOKAN』

いつかいつか生でみたいと思っていたZAZEN BOYSのライブ。武道館という特別な場所で、何も変わらずどっしりとした、しかし近づくと切り捨てられるような鋭利さを持った演奏が3時間も続いて、圧倒されてしまった。

『HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024』

僕にとって宇多田ヒカルは、他のミュージシャンとはちょっと格が違うというか、あまりアーティストに対してこのような言葉遣いは控えたいものだけれど、神様のような、人間の住む世界とは少し別の次元にいる存在として捉えている。だけれど今回のライブ映像を見て、彼女の代表曲が次から次へと歌われるのを聴きながら、それらはぜんぶ、徹頭徹尾、市井の人々に対しての真摯な芸術だったのだなということに感動した。

『 ニューヨーク 漫才 「ラブソング」』ラパルフェM-1グランプリ2024準々決勝)

お笑いというのはあくまで表現であるので、それに対して「これは反則だ」「禁じ手だからやるべきではない」というような自主規制的な言説を言ってのけてしまえる人間の精神には鼻白んでしまう。しかしこれは反則でしかなかった。真面目な話をすると、このネタは、お笑いイベント「グレイモヤ」などであるような、お笑いという文化圏の内部を笑いの対象にするような(内輪ネタなどと揶揄するような)潮流の流れにあるネタで、それでいてそれをM-1グランプリという場でわかりやすくかつ最大限に利用しているネタだと思う。それでいて、M-1以外の場ではあまりこの面白さが再現不可能であるところからして、反則どころか徹頭徹尾M-1グランプリのために作られた漫才だと言える

『名探偵津田 第3話 怪盗vs名探偵~狙われた白鳥の歌~』

10年目を迎えてもなお、「電気イスゲーム」「楽屋泥棒目撃ドッキリ」「清春の新曲、歌詞を全て書き起こせるまで脱出できない生活」などの衰えを見せないコンテンツを水ダウが満をじして届けたビッグコンテンツは、その始まりからして、事前予告なしという我々の不意を用意周到に突くものだったのに感服し、至極リアルタイムでその唐突に起きた事件を目撃することができてよかった。

その後の「長袖をください」で笑い死にしかけたけれど、何よりも興味深かったのは、前作に続き、物語と現実の「1の世界と2の世界」という概念が、結構メタ的な視点を持ったフィクションにおける物語世界と現実世界との交わり方を説明する上で割と今までなかったような概念だなあと思った。ミステリというものは作劇や執筆の面において厳格とも言えるルールが存在するジャンルだと思うのだが、それがバラエティのドッキリと出会うと、このような化学反応が起きるのだなと思った。

コミックマーケット105(2024/12/30)

自分が参加している「或る歴史と或る耳と」という、著名な音楽誌の名盤ランキングにランクインしたアルバムを複数のレビュアーが聞いて合評するという企画の日本編をまとめたZINEを作ったので、それを販売する先輩に会いに行った。

初めて行ってみたが、まさに魔境であった。自分たちが巻いたリストバンドがついた腕をまっすぐ掲げながら入場していく様も面白かったし、人の波に揉まれながら歩いていくと、周りを乳房や生殖器を放り出して欲情的な顔をしている少女たちのイラストが描かれた大きな幟があちこちに立てられている魔境に迷い込んでいた。

まさにカルチャーを煮詰めたような場所で、ここが日本のカルチャーの中心地なのかと思うと、なんとも奇妙な気持ちになった。

 

12月の暮れ、佐々木敦さんの忘年会に参加する。そこで発表された来年以降の佐々木さんが行っていく予定の仕事の量に慄きながら、QRコードを認識して注文するように言われながら電波が圏外など、おしぼりが所々でサービスがなっていない店で二次会をして、書評家の豊崎さんとじっくり話す。最後は絶対に戦争をしちゃいけないと言っていた。泣きそうになった。帰ろうとすると、豊崎さんから「お土産!」と呼び止められ、豊崎さんがしきりに美味しいと言ってた居酒屋のメニューを紅生姜鳥天をもらって帰る。その時に佐々木さんに自分たちの作った同人誌を渡すことができた、お邪魔にならないか心配だったが、喜んで受け取ってもらえた。紅白歌合戦を見ながら、もらった鳥天をトッピングに両親から送られてきた年越しそばを食べる。美味かった。

2025年も人々の救いになる素晴らしいコンテンツが生まれますように。