はじめに
キングオブコント、今回も最高の大会でした。少しずつお笑いから気持ちが離れていっている自分ですけど、毎回キングオブコントを見るたびに、やっぱお笑いおもれーと思い直すってことが何年も続いています。
毎回、準決勝のレポートを見て、ウケたらしい組が決勝に進出できなかったことを実際に見てもいないのに残念がってしまうけれど、実際の決勝を見ると、この選出で間違いがない納得させられるほどに、現時点でお笑いというものが表現できる限界の先端にいるようなネタが並べられ、その不満がねじ伏せられるので、そういったレポは当てにならないものだなと思ってしまう。特に、決勝でも爆発的にウケていたのに落ちたという組がやっていたコントを見てみたけれど、それほど自分にとっては面白くなく、やはり準決勝の審査員は冷静にみているのだなあと感じます。
以下は批評も混ぜた感想です。
【1stステージ】
ロングコートダディ「花屋」
派手なセットや小道具、脚本におけるツイストなどなしに、やり取りだけでここまで笑わせることができたのは、堂前の脚本はもちろんのこと、ひとえに兎の声や身振りに依っているところが大きいと思う、この一本目でその身振りのみで爆笑を起こしたというその部分を評価していたので、二本目のコントで文字通りそれらが封印されてしまったところは痛かったように思う。
ダンビラムーチョ「冨安四発太鼓保存会」
一番笑ったのはこのネタかもしれない。笑わせどころのくだらなさもそうだし、大原の演じるキャラクターが、コミカルでありながら高圧的な態度や、伝統にとらわれているという田舎の人間の陰の部分が滲んで見えるのが良かった。点数があまり伸びなかったのが残念。原田フニャオがもう少しビシッと厳し目にツッコんだ方がこのコントの場合は締まったような気がするし、最後は大原の「いいなー!」のところで暗転して終わった方が絶対に良かった気がする(最後の蛇足になっている部分を削って、原田が太鼓を四発以上叩いてしまうことによる、大原のキャラクターの横柄さに対するカタルシスを起こすフリにもう少し時間をかけた方が、よりウケ、審査員の点も上がったかもしれない)。だけどそれが良さでもあるからむずい。
シティホテル3号室「通販番組」
涼太の佇まいや台詞回しが、タイタンの系譜というか、「コント師」なんて言葉すらなかった時代の東京芸人のシティ派のコントにおけるいにしえの身振りって感じがして、それが継承されているということに興奮した。
販売戦略のためといっても、通販番組の生放送であんなにキレるということにあまりリアリティを感じられなかった(通販番組って生放送でも台本を一字一句やってるものだというイメージがあるから)。なので、最後までその点がノイズとして引っかかり続けたのが難点だと思う。
や団「休憩時間」
ロングサイズ伊藤のコント演技ってめちゃくちゃ優れている。僕は芸人が演技力があるという意見には「演技力」つっても色々あるから雑だなあ(芸人のネタにおいて必要となる演技と、映画や舞台で必要となる演技って絶対別だと思っている。テレビドラマや映画に芸人が最近出演しているのは、芸人の演技力がすごいのではなく、逆にドラマや映画がお笑いのネタ化しているからであるのと、元も子もないことを言えば、単に普通に視聴者や観客が集められるほどの知名度があり演技が下手なジャニタレよりは単価が安いからでしかないからだろう)と思うけれど、この人は絶対シリアスな演技をしても成立すると思う。
コットン「おままごと」
コットンがまだラフレクランだった頃にどこかのテレビの賞レースで勝負ネタとしてかけていた、警視庁の中のカツ丼を作る部署のコントを見た時にめちゃくちゃ鼻白らんでしまって、そこからコットンに改名してキングオブコントに初出場するまで、あまり良い印象を持っていなかったんだけど、今回見たコントもその初対面と同じような残念さを感じてしまった。
「他人がやっていることに感情移入していつの間にかのめり込んでしまう」という展開はそれこそキングオブコントだったら(決勝進出はできなかったものの)インポッシブルの「ムテキマン」という傑作などがあり、お笑いに対する見巧者であれば(芸人ならば尚更)、予測はできるはず。その予測を超えてこなかった点はいくら、きょんの演技力でもカバーできないものだとおもう。ひとつのほつれからどんどんと穴が広がっていくように、何で子供(西村)があんな大人びた完成度の高いメロドラマを人形劇で演じているのか、とか、あの空間にBGMがかかること(人形劇で繰り広げられた劇中劇の展開に付随するべき劇伴を、劇を演じる西村とそれを見ているきょん外側でかかっているという構造の問題だと思う)とか、違和感として浮かび上がってくる。さもありなんという気持ちだった。
ニッポンの社長「野球部」
個人的には今までのニッポンの社長の集大成みたいなネタだと感じたので、ウケも伴っていたし、これで点数が出ないというのは結構辛かった。個人的には、コントは、演劇との決定的な差異として、セットや演技に至るまで、偽物であることをあからさまに観客にわからせた上で行うということが挙げられる。このネタには、その偽性を最大限に利用し、その過剰さにおかしみを見出す、メタ的な笑いも含まれている。だから、単に見た目の面白さだけであのような視覚的な暴力的な笑いを用いたわけではないと考える。もちろん飯塚のようにそれを否定するのも考えとして肯定されるべきであるし、だからこそ辻の「次ほんまのバットでやるんで見てもらっていいですか」という返しには痺れた。
cacao「部屋練」
今回大会で披露されたコントの中でも、一番動きそのものに帯びる面白さが強いネタだった、至近距離で豪速球を投げるという動きの面白さを提示してからの、3人で狭い部屋で打撃練習をするという動きを、頭の中で予想するだけで笑みがこぼれてしまった。その動きだけを子供の遊びのように(「速攻」「速攻返し」というのはまんま小学生の遊びで出ている言葉のはずだ)執拗に反復することで快感を得るという点で、ジャルジャルがM-1グランプリで披露した、「ピンポンパンゲーム」、「国名分けっこ」のネタを(こちらは言語の反復という違いがあれども)強く思い出した。大会全体としては松ちゃんのことを思う瞬間はほとんどなかったんだけど松ちゃんがいたらどう評価していただろうと唯一気になったコント。個人的には、浦田スタークが若き日の渡辺あつむ(現:桂三度)を彷彿をさせる見た目で、振る舞いも若さ際立ったところがあって良い。
ファイヤーサンダー「毒舌散歩」
ファイヤーサンダーのネタはとにかく一つのツイストを徹底的かつシステマチックに突き詰めていく展開作りが特徴でもあるし、後々今回の大会結果にもつながったように、弱点にもなり得る部分だと思う。システマチックなネタであるか否かは、「一、二行でネタの徹頭徹尾が面白さを損なわない形で表せるか」という基準だと個人的には思っている。今回のラブレターズの二本目なんて一言二言では言い表せない。それを評価するか否かは、それぞれのお笑い観による。個人的には、最後の能力バトルみたいになる展開を広げていった方がより馬鹿馬鹿しさを感じて好きになったかも。
チンパンジーが背筋を伸ばして歩く姿が一番笑わせたかったところだし、実際笑ったのだけれど、その部分以外は、それぞれの考えたボケを大喜利的にポンポンと並べたような印象を受ける構成で、その繋ぎ目が甘いように思われて、継続して笑いを引き出す力が弱いように感じた。
ラブレターズ「光」
ずっと準決勝のレポなどでタイトルだけ知っていて内容を知らなかったコントで、今回初めて見ることができて、そしてそれがコントを見続けてごく稀に出会う、魂に響くようなネタだったのにひどく感動してしまった。このコントのいいところは、稀に全然ウケてないところがあるところだ。そこが彼らにしかできない、そのようにしか他に表現する術のない業のようなものを感じて、グッときた。
【最終決戦】
ラブレターズとファイヤーサンダーはまとめて言いたいことがあるので、先に二番手のロングコートダディの感想を書きます。
ロングコートダディ「岩壁に封印されしウィザード」
飯塚悟志の「テレビコント」という批評が物議を醸したようだけれど、私もそこまでは思わないものの、正直、あそこまで金と手間のかかったセットは、新人賞でやるコントとしての規模を少しはみ出しているような気もしてしまって、鑑賞の際にノイズになったのも確かだ。たらればの話をするのは下品だが、もし、過去の準決勝ネタである「動物園」のコントをやってたら優勝だっただろうなと思う。ロングコートダディはあまりに幅広い種類のネタをやることができるから、その手札からどれを出せば良いのかというような
ラブレターズ「YOUは何しに海岸へ?」、ファイヤーサンダー「野球部と不良」
ファイヤーサンダーの2本目のコントを改めて見ると、それが舞台に対してとても平面的に構成されていることがよくわかった。それはラブレターズのコントが舞台を縦横無尽に動き回っていたから良いとかそういうことではない。
これは私がかねてから考えていることなのだけれど、コントという演芸が他に比べて秀でている先進的な部分であり、かつ他の表現に張り合うことのできる可能性の部分だと思うところは、「広さ」を持っているという点であると思う。「広さ」というのはここで私の考案した概念なのだけれど、M-1での漫才のように最短距離で笑いに到達させることが求められる思想の反対にあるものだと思ってもらえればいい。笑いを取るためにどんな自由な回り道をしてもいいという、それができる空間的な余裕があるということだ。どんな小道具を持ち込んでもいいし、音楽やセットを使ってもいい。ラブレターズが審査員から苦言を呈されたがらも優勝した理由は、そのコントの持つ広さを一番利用していたことにあると思う。それはコントという表現をすごく信じているということの証左であって、審査員もその部分を受けて彼らを優勝させていたのではないかと思う。そんなコントを僕は見たくて、お笑いを、特にコントを、見続けているところがある。
総評
今回の大会終了後に、審査員に苦言を呈している人間が(Yahoo!ニュースに残る程度には)少なくないようだ。推測ではあるが、松本人志がもし今年も審査員として鎮座していたなら、その人々がそのような今回のような声をあげることはないはずだ。その発言や考えていることの内容そのものよりも権威を信用するような狡い奴らだと思う。
そもそも明確にその場で修正点を指摘できるネタが、キングオブコントの決勝に上がるわけはないわけで、繰り返してしまうが、今回の決勝のネタも全部現代におけるコント、ひいてはお笑いという表現の最高峰にあるネタだといっても全く過言ではない(今回点数が詰まりに詰まったのは、決して審査員の実力不足なのではなく、他にそのようなクオリティの高さに対する感嘆が正直に現れたものだと思う)。そのような非の打ち所がない作品をぶつけられた時に、何によって評価するか、換言すればどのようにネタ同士の点数の差異を生み出すかという時に、自らのお笑いに関する哲学や美学をぶつけ返すしかない、そういった最も緊張に満ちた判断に依るしかないのであって、今回の審査員は、なぜその判断を下したのかを濁さずにしっかりと言語化したコメントを残している。その点で審査員は誠実でしかない仕事をしていたと言える。
空気階段が優勝したキングオブコント2021以降、私から「お笑い」へ何かを仮託しようとする気持ちが無くなって久しいが、来年もそのような私を——例えそれが短い享楽だとしても——熱狂させてくれるものが現れくれやしないか、楽しみにしている。